なにかが「できちゃう」ということは、
 かならずしもいいこととはかぎりません。
 
 たとえば、お化粧がじょうずに「できちゃう」人は、
 いつ素顔を見せればいいのでしょう。
 このつぎには、素顔を見せよう
 と思っているうちに時は過ぎ、
 年老いていく素顔は、誰にも見られないままになります。
 
 文章を書くことが「できちゃう」なんてことも同じで、
 なんにも思ったり感じたりしなくても、
 それらしい文章は書けるものです。
 どういうふうに体裁を整えるか、であるとか、
 どう書けば評価されるかだとか、
 どうすれば隠し事が隠しおおせるかなんてことが、
 どんどんじょうずになっていくと、
 いつまでも、書けない理由に出合えなくなります。
 
 「できちゃう」ことは、とても役には立つのでしょうが、
 そのおかげで、なにかの発達が
 止まってしまう場合もあります。
 「できちゃう」ことを捨てたり、
 「できちゃう」ことの外側に出たりすることは、
 どんな秘境への旅よりも、大冒険です。
 
 「できない」と格闘し続けるためにも、
 「できちゃう」を封印することが大事です。

 「できちゃう」がないと生きていくのが困難だし、
 「できない」に出合えないと、生き続けられない。
 にゃかにゃか、ややこしくもおもしろいものです。